(和歌山県那賀町)2004.10.03



華岡青洲

華岡青洲は、1760年(宝暦10年)10月23日 今の那賀町平山に生まれました。その後1782年に、
京都での3年間の遊学の後、帰郷し父の後をついで開業しました。 当時の外科治療には大きな
問題がありました。麻酔がないために、患者は激しい痛みに耐えねばならず、そのために死に至
ることも多かったのです。青洲は、患者の苦しみを和らげ、人の命を救いたいと考え麻酔薬の開発
を始めました。 研究に研究を重ね長い苦心の末に、青洲は曼陀羅華(まんだらげ)の花を主成分
とした6種類の薬草に麻酔効果があることを発見しました。 動物を使った実験を重ねることによっ
て、麻酔薬の完成まであと一歩というところまでこぎつけましたが、最後の人体実験を目の前にし
て行き詰まっていた時、苦悩する青洲に母・於継と妻・加恵が自ら進んで実験台になることを申し
出たのです。こうして数回にわたる人体実験の結果、加恵の失明という事態を招いたものの、つい
に全身麻酔薬「通仙散」が完成しました。以後、青洲は、没するまでの約30年間に様々な手術を行
い、当時不治の病といわれた乳がん手術だけでも153例にも及びました。 また、乳がん手術の成
功後、華岡青洲の名は全国に知れ渡り、患者や入門を希望する者が、平山に殺到しました。青洲
は、門下生の育成にも力を注ぎ、医塾「春林軒(しゅんりんけん)」を設けて、千人以上の門下生を
育てました。



春林軒

春林軒は、医聖 華岡青洲が開いた自宅兼病院兼医塾です。 現在の主屋は平成九年に修
理・復元し、その他の建物は発掘調査資料等に基づいて復元されました。


裏門(現在は入口)


南長屋


南長屋(門下生の部屋)


南長屋(薬調合所)


表門


馬小屋


病室


病室の内部


米倉兼看護病棟


米倉兼看護病棟の中


米倉兼看護病棟


米倉


米つき場


米つき場の内部


米つき場の内部


農機具





大八車


母屋


母屋


母屋のよこの厠(トイレです)(;^_^A あせあせ


母屋内部(炊事場)


母屋内部(診察控室)


母屋内部(機織)


母屋内部(茶の間)


母屋内部(居間)


母屋内部(客間)


母屋内部(奥居間)


母屋内部(婦人手術室)


母屋内部(手術兼薬調合室)




ふれあい農園

春林軒に隣接し華岡青洲の使った薬草や、ハーブ、花などが育てられています


カキ...いわれなくてもわかるよねm(_ _)mペコリ


コスモス








サルビア








マリーゴールド


うしろの丸い建物はフラワーヒルミュージアム




メキシコセージ