2005年7月17日

梅雨が明けて暑いから家から20分くらいのところの和歌山市の4つの神社めぐりをしました
竃山神社(かまやま)、日前宮(にちぜんぐう)、玉津島神社、鹽竈神社(しおがま)の4社だよ


竃山(かまやま)神社
この神社は、彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を祭ります。彦五瀬命は第一代神武天皇の兄君で、大和平定の途中戦傷、雄水門(ヲノミナト)で亡くなられ、竃山に葬られました。今から千年ほど前の法律である延喜式の神名帳に、「紀伊国名草郡 竃山神社」とあり、古くから官幣による皇室御崇敬の大社です。天正13年豊臣秀吉が根来寺を伐った時の兵火により、社地社領を没収され、社殿を始め宝物・古文書など一切失ひましたが、寛文9年和歌山城主徳川頼宣が再建しました。
寛政6年の冬、本居宣長はここに詣で、
「おたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ」
と詠まれました。
























ねむのき





日前宮(にちぜんぐう)
正式には日前(ひのくま)・国懸神宮(くにかかす)神宮といいます。向かって左が日前神宮、向かって右が国懸神宮です。この神社はわが国でも、最も古い歴史のある神社の一つです。日前神に関する最も古い文献は、「日本書紀」神代上の一書にあり、その中で、日前神は天照大神をかたどった鏡を祀る社と説かれています。一方、国懸神の初見は、「日本書紀」朱鳥元年(686)7月5日条の「紀伊国に居す国懸神、飛鳥の四社、住吉大神に奉りたまふ」とありますが、この国懸神はどのような神か、日前神との関係もよくわかっていません。










日前神宮












国懸神宮







玉津島(たまつしま)神社
玉津島神社には、雅日女尊(わかひるめのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)、衣通姫尊(そとおりひめのみこと)が奉られています。古くから和歌の神として知られる衣通姫尊が御神体であることから、山部赤人や松尾芭蕉などが詠んだ和歌や俳句を刻んだ歌碑が建てられ、三十六歌仙の絵馬が飾られています。  また、小野小町が参拝の時に上掛けをかけたと言う「小野小町袖掛けの塀」、霊元天皇の眼の病が全快されたときの天皇御寄進の燈篭などいわれのあるものが数多くあります。
神社からは、奠供山と鏡山への登り口があり、それぞれ5分ほど登れば和歌浦湾と片男波の美しい風景が望めます。

















鹽竈(しおがま)神社
もともと玉津島神社の祓い所でした。神社としては実にあたらしく、1917年です