2004年12月25日吉野山にドライブにいきました

サクラの時期はすごい渋滞だというから年末に行ったんだけど
スムーズに走れましたぁo(*^▽^*)o~♪

大峯連山の北の端から、南に約8kmつづく尾根が吉野山。古来よ
り日本一の桜の名所として名高いところです。馬の背のような山は
役行者(役小角)を開祖とする修験道の寺や、南朝ゆかりの史跡、
西行や芭蕉が逍遙した文学の史跡など、みどころがたく
さんあります。


吉野山より見下ろしました




真ん中の大きい建物が金峯山寺




金峯山寺

黒門

金峯山寺の総門。木造の門で、黒く塗られていることからこの名がつけられた


仁王門(国宝)

人母屋造り、本瓦葺の楼門で、門前町本通りのつきあたり、右段の上に建っています。1456(康正2)年に再建され
たもの。南向きの本堂が山上ヶ岳からの巡礼を迎えるのに対し、この門は北を向いています。


仁王門(国宝)


仁王門(国宝)

中から撮りました


仁王門の仁王像


仁王門の仁王像


大塔宮神社


愛染堂


蔵王堂(本堂・国宝)

金峯山の高台にそびえたつ、東大寺大仏殿に次ぐ木造の大建築。現在の本堂は1592(天正20)年に再建された、
室町末期を代表する建造物です。本尊として3体の蔵王権現像をまつり、内陣の2本の金箔張りの化粧柱や須弥壇
は太閤秀吉が花見の際に寄進したものといわれ、桃山建築の美しさを残しています。


蔵王堂(本堂・国宝)


天満宮


鐘楼


金輪王寺・吉野朝皇居跡

もとは吉水院という、金峯山寺の格式高い僧坊でしたが、明治のはじめ、後醍醐天皇、楠木正成、宗伸法印をまつる
神社に改められました。源義経が静御前や供のものと逃げのびてきたのも、太閤秀吉の花見の本陣となったのもこ
こです。当神社には南朝の古文書や武具、秀吉の花見に使われた楽器など、100点を超える宝物が残っています。
また、初期書院造りの傑作といわれる書院建築で、義経潜居の間、後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間があり
ます。うち、義経の間が室町時代様式で、他は桃山時代以降のもの


裏側?




吉野神宮

吉野山の北麓にあり、1889(明治22)年、明治天皇をしのんで創建されました。祭神は後醍醐天皇。摂社は日野
資朝、児島高徳など7人の功臣たちをまつっています。この地は、大塔宮(後醍醐天皇の皇子、護良親王)が吉野
に挙兵されたおり、北条幕府方に占拠され本陣になったと伝わるところ。正北面を向く本殿は、京を恋しく思われた
後醍醐天皇の心情をうつしたのだといわれています












吉野水分(みくまり)神社

水の分配を司る、天之水分大神を主神としています。“みくまり”が“御子守”となまって俗に子守さんとよばれ、
子宝の神として信仰されています。桃山様式のたいへん美しい本殿や楼門・拝殿などからなる神社で、豊臣秀頼
の再建。本殿は一間社春日造り、左右の2殿は三間社流造りで、3殿を1棟続きにしてあり、庭を挟んで左に拝
殿があります


















如意輪寺

創建は901〜22(延喜年間)年と伝えられています。1336(延元元)年、後醍醐天皇の勅願寺とされた寺です。
天皇没後、楠木正行が大阪四条畷の戦いに出陣前、鏃で記した辞世の歌が堂の扉(宝物殿に保存)に残ります。
森のなか、静寂につつまれた境内には正行一行の髷塚もあります